今回は、前回のエントリ『ソウルフルな経済学』(3/3)で触れた、ギルボア教授による『合理的選択』の序文から、印象に残った箇所を引用・ご紹介したいと思います。学者としての普段の仕事は高度に数理的なものばかりですが、だからこそかえって彼のメッセージが熱く伝わってくる気がします。

合理的選択
イツァーク・ギルボア
みすず書房
2013-03-09



 経済理論やその関連分野は数多くの強力なモデルと一般性の高い視点を提供し、私たちの日常生活に関する考え方を変えてきました。それと同時に経済学はいくつもの点で正当な批判を受けてきました。第一に、経済学は数理科学であるにもかかわらず、他の厳密科学のような正確な数値予測を提供し損ねてきました。第二に、経済学の基本的な仮定は攻撃の的になり、実験を通じて反証されてきました。
 <中略>
 本書はこれらの批判を乗り越えてきた経済学の基本的な視点に焦点を当てます。合理的選択のモデルは、十分に柔軟性があって、狭義の経済理論が説明し損ねてきた多くの現象を採りこむことができる、ということが示されてきました。
 <中略>
 本書では特定の理論ではなく、
合理的選択のパラダイム、一般的な視点、概念化、構成原理といったものを強調しています。

 経済学とその科学としての成功の有無に関する議論や、経済学者が社会で果たしている役割や果たすべき役割などに関する議論を見ると、両方向にバイアスがあるようです。経済学者はほとんどの場合、レトリックや黙示の力といったものに重きを置かなすぎます。経済学のほとんどの教員は効用最大化やパレート最適性といった概念の欠点には触れません。教員は学生が行間に何を見るかということに無頓着であり、そのために単に理論を記述しているだけなのにそれを称揚していると受け取られることもあります。他方、経済学の批判者たちは理論とパラダイムとを十分に区別しません。彼らは特定の理論の失敗をあげつらって、パラダイムの長所を吟味することなしに、分野全体を否定しにかかるのです。本書の読者がこれら双方のバイアスに気づかれるこをと切に願います。
【序文】より抜粋


 本書は、経済・政治・社会問題を考察する際に重要な意思決定理論ゲーム理論社会選択論の基本的な考え方を論じたものです。私は現代の民主主義において、全ての人がここで論じられた考えに触れるべきであると信じています。本書ではこの目的を踏まえて、可能な限り数理的議論を排することを目指しました。
【日本語版への序文】より抜粋