一流のエコノミストは素晴らしい研究をしているにもかかわらず、大学で私たちが学生に教えていることは過去25年間の間に非常にわずかしか変わっていない。本書でカバーされた材料のほぼ半分は大学院の基礎コースや一部の学部の基礎コースでカバーされるようになった。残りの半分は、大学院生が専門的なコースを選べるようになった時点で入ってくるのである。
 <中略> 
 最前線の研究は、私たちが若かった頃授業で延々と聞かされた、一般均衡の存在やその一意性の証明、ブラウワーとカクタニの不動点定理のどちらが優れているかに関する論争といったことよりもはるかに興味深い。一般均衡の奥義は、躊躇せずにカリキュラムから削除すべきである。経済学は過去四半世紀に巨大な進歩をとげた、そして経済学は知的な興味をかきたてるものだ、ということを一部の疑い深い人も納得したらよいと思う。
(352~354ページ) 

 経済学方法論の主要な要素は、古典派時代から変わっていない。それは合理的選択の重要性であり、モデル概念として均衡を利用することである。もしこれらを限界と言うなら、それでいいだろう。いかなる学問分野であれ、方法論には限界がある。方法論上の限界は強みでもあり、特徴的な洞察をもたらす。私たちはだれもが合理的に選択する、と信じているのではない。それどころか、ほとんどの主流派エコノミストは、行動研究から学びたいと思っているのである。
 私たちは、経済はいつも均衡していると考えているわけでもない。もしそうならまったく馬鹿げている。にもかかわらず、この二つの要素は、私たちの考え方の中核をなしている。 合理的選択は、自己利益を追求する選択とは区別されるが、自己利益も強力な仮定だ。パーサ・ダスグプタは、自己利益について次のように論文で述べている。
民間部門では、自己配慮(self-regarding)的であることは、不道徳であることや善悪の是非がつかないことと同じではない・・・・・社会的秩序の道徳基盤について論ずる際に、自己の存在を無視し、したがって誘因に関する問題を放置することは、なにもないところで社会理論をつくりあげるようなものだ。
また、エドワード・ラジアーは次のように述べている。
不完全情報取引費用やその他の媒介変数によって話が混乱することは許容してもよいが、モデルをつくる時に対象とするのは、個人のコントロールを超えた諸力によって決定されるような行動ではない。
 利己的で合理的で最大化を目指す行動は、しばしば批判者たちによって、バラバラで極度に個人主義的な世界観である、と受け取られているが、本当はその反対なのである。ある個人による選択は、常に他の諸個人に影響する。他の方法論ではなく、選択を基礎とした経済学のモデルこそが、私たちの社会的、物理的存在から生じる機会費用やトレード・オフを強調する
 <中略> 
 最新の計量経済学的手法と新しいデータセットを使いながら現在行われている私たちの社会の驚異的な解読は、次の10年間で、公共政策に画期的な影響をおよぼし始めるだろう。一連の社会問題についてのきちんとした実証結果が出てくると、逆に経済学は大々的な論議を呼ぶことになるだろう。なぜなら、経済学は技術的な学問であり、その結論はしばしば直感に反するものであったり、一般常識に反するものであったりするからである。
 <中略>
 この発見の時代は経済学における「新しいパラダイム」をもたらすのだろうか。私はパラダイムは変わらないと思う―もしパラダイムが経済学方法論の主要な要素を意味するのなら、の話だが。しかしエコノミストの間には、経済学とはなにか、ということについて新しい統一見解がある。それは、競争市場の研究ではなく、何百万もの個人的決定の集合体としての社会を、歴史や地理や人類の進化しによってかたちづくられた特殊なコンタクトにおいて理解することなのである。 
(356~359ページ)

 本書を肯定的な指摘で終わるため、以下に最も重要な分野をあげておく。これらは過去十〜二十年において経済学研究が政策担当者に対し、なにが効果的かについて、しっかりと分析と証拠を提供し、それによって政策と人々の生活が改善された分野である。多くの項目があるだろうが、ここではエコノミストの間で論争を呼ばないようなものをいくつか選んだ。
  • 輸送投資と価格体系  ミクロ経済学を利用した輸送プロジェクトへの投資評価と、最も効率的な価格体系の策定には、多くの例がある。ノーベル賞受賞者ダニエル・マクファーデンは、サンフランシスコのBARTシステム(Bay Area Rapid Transit System)の予想される旅客数を分析し、こうした研究の先駆者となった。もっと最近の例では、ロンドンに乗り入れる車に課される混雑税がある。輸送計画に携わる人のすべてが経済学を活用しているわけではないが、活用した場合は、プロジェクトの効率や効果は一変している。
  • 入札  政府は希少な資源(たとえば電波帯域や鉱物資源)の探査権を入札で分配すべきである。入札は特定の状況に合わせて設計する必要があるが、適切に設計されれば、最も効率的に資源を配分でき、政府に相当な収益をもたらすことができ、ひいては納税者の利益になる。入札は往々にして操作、あるいは抜け目ないプレーヤーに弱いが、その対案である官僚による決定は効率性や腐敗に非常に弱い。
  • 金融政策  1980年代初頭までは、マクロ経済学はイデオロギー的に分断されたため(「マネタリスト」と「ケインジアン」)、政策が不安定になった。エコノミスト業界の新しいコンセンサスは、金融政策はインフレを中期的(2~3年の間)には低位安定に維持するよう目指すべきであり、金融政策を利用して経済規模を拡大したり、成長や雇用を促進することは非生産的である、というものである。ほとんどのOECD加盟国では、数十年前にくらべ、インフレは従来より低位で安定しており、GDP伸び率も安定している。 
  • 環境その他の取引スキーム  市場設計の諸原則は、欧米においては地球温暖化ガスの排出権取引という新しい企てに応用されてきた。部分的には不都合もあったが―主として産業界が政府に当初の排出権を大盤振る舞いするよう説得したことに由来する―、市場は問題なく機能し、産業に由来する温暖化ガス排出量を削減することに成功した。市場は規制当局による排出制限よりも、排出量削減に効果があった。 
  • 競争促進政策  経済学による競争促進政策への影響は過去20年の間に徐々に増大し、たとえば、合併による価格やイノベーションへの影響、非競争的取り決めによる消費者へのコスト、企業やカルテル間の共謀の存在や性質などについての分析に影響をおよぼしてきた。より精力的な競争促進政策が、価格引き下げと欧米企業の効率向上に寄与した、という確実な証拠がある。 
  • 不完全情報のもとでの契約手法  情報エコノミストは、保険、アウトソーシング、企業の賃金体系、公的サービス提供といった重要分野における契約づくりの手法を一新した。エコノミストは、実業界や行政におけるモラルハザードやプリンシパル・エージェント問題に対する関心を高め、監視や目標設定といったスキームの普及に寄与した。こうしたスキームの意図は、人々に誘因を与え、より良い公共サービスの提供であれ、より大きな企業利潤であれ、できるかぎり望ましい結果をもたらすようにしよう、というものである。
 これらはすべて、実質的だが見過ごされている、エコノミストによる私たちの幸せへの貢献であり、ほぼ1980年以降の経済学の進歩の結果である。経済学が他の政策分野を改善できる余地は非常に大きい。本書が、公共政策のすべての分野で経済学をもっと真剣に考慮するうえでの一助となるよう願っている。
(360~362ページ)


【参考文献】
合理的選択
イツァーク・ギルボア
みすず書房
2013-03-09


 
不確実性下の意思決定理論
イツァーク ギルボア
勁草書房
2014-01-23


本文でも繰り返し言及されていますが、経済学では「合理的選択」アプローチが当たり前のようにとられます。これに対し、意思決定の合理性や利己性に関して違和感を持たれる方は決して少なくないでしょう。経済学の批判書はもちろん、行動経済学の書籍などでも(特に一般向けの入門書では)、こうした伝統的な意思決定アプローチを頭ごなしに批判・否定する記述をしばしば見かけます。ただし、批判者がきちんと伝統的な意思決定理論や、近年におけるその急速な発展を把握した上で批判しているかというと、必ずしもそうではない場合も多いのではないか、という印象を個人的には抱いています。肯定的、批判的であるかを問わず、意思決定理論の基本的な考え方やフレームワークを一度勉強してみたい、という方にオススメするのが、この分野の大家であるギルボア教授の著作です。『合理的選択』は初〜中級向け、『不確実性下の意思決定理論』は上級向けで、どちらも読み応え抜群の名著だと思います。(後者は、確率論or/and効用概念の前提知識がゼロの方が読もうとすると火傷しますのでご注意ください…)