インセンティブの作法

経済学者 | 安田洋祐 の別ブログ

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カテゴリ: 情報の経済学

  • 蓼食う虫も好き好きのインセンティブ
 ところで、経済学では個々人が(好みや基準がどうであれ)本人にとって望ましい選択を行う、と考える。この大前提を、「各人はインセンティブに従って行動する」というふうに表現する。本連載のタイトル「インセンティブの作法」とは、経済学の作法そのものなのである。  

 インセンティブは、金銭的な動機という狭い意味で使われることがあるが、実は金銭換算できないリターンやコスト、心理的な影響なども含む。「蓼食う虫も好き好き」で構わない、という点に注意してほしい。  

 話を制度設計に戻そう。実は、インセンティブや情報の非対称性は、経済学が古くから得意とするテーマだ。特に制度設計に関する問題は、メカニズムデザイン理論という分野で1970年代以降、精力的に研究されてきて、2007 年には、この分野のパイオニアたちにノーベル経済学賞が授与されている。  

 近年では、電波オークションの仕組みや研修医のマッチング制度、学校選択制など、現実の制度設計にその学術成果が役立てられている。ともすれば机上の空論と揶揄されがちな従来の経済学に対するイメージ(これは、エキサイティングで実用性の高い中身をきちんと伝えられていない私たち学者の責任なので反省……)に反して、メカニズムデザイン理論の考え方は着々と実践され、徐々に世の中を変えつつあるのだ。  

 この強力なツールをどう活用していくか。それは、社会や経済の仕組みをうまくデザインしていくうえでのカギを握っている
 

【初出】

 

【参考文献】

オークションやマッチングの制度設計について扱う「マーケットデザイン」の入門書。新書とは思えないくらい記述が丁寧、そして正確。この分野を勉強するはじめの一冊として激しくオススメ!

  • 制度設計に立ちはだかる二つのギャップ
 それは、親と子供の利害の不一致、そして両者の間に横たわる情報の非対称性だ。具体的にいうと、利害の不一致は「子供はできるだけたくさんお小遣いが欲しい。一方で、親は適度な金額を渡したい」という目的のギャップに対応している。

 情報の非対称性は、「親は子供が何をどれだけ欲しいか本当のところを知らない」、あるいは「渡したおカネが実際に何に使われたのかわからない」という情報のギャップに対応する(経済学の世界では、前者の状況をアドバースセレクション、後者をモラルハザードと呼ぶのだが、それはまた後で説明しよう)。  

 さて、このようなギャップは、お小遣いルールの設計のような家庭内の決め事だけでなく、世の中のさまざまな制度設計において現れる、一般的な課題であることが想像できるのではないだろうか。そこで今度は、親=銀行、子供=企業(借り手)、お小遣い=融資、と置き換えて、銀行融資について考えてみよう。  

 安定した短期的な融資の返済を要求する銀行と、自社の存続や長期的な利益の最大化を目指す企業との間では、しばしば目的が食い違う。つまりそこには、一つ目のギャップである利害の不一致が存在しうる。これを前提とすると、二つ目のギャップ、情報の非対称はどのような問題を引き起こすのだろうか。 

  • 銀行融資で情報の非対称性を考えると・・・
 まず、銀行は投資プロジェクトの収益性や採算性について、当事者である借り手ほどには詳しく知らず、収益性に応じた金利の設定はできない。すると、高い利率になればなるほど、(平均的には)収益性が低く、債務不履行のリスクが高い企業が融資を求めてくるようになる。ここで貸し倒れリスクに対処しようと下手に金利を上げると、借り手の質はさらに悪化、融資の採算を取りにくくなってしまうかもしれない。  

 ちなみに、融資を決定する前から情報の非対称性が存在する状況を、アドバースセレクション(逆淘汰)と呼ぶ。この名称は、良い借り手が市場から退出し、悪い借り手が生き残る、という ――いわゆる自然淘汰とは逆の―― 現象が、事前の情報の非対称性によって引き起こされることに由来する。

 また、銀行には自分たちの貸し出した資金が実際にどのように使われたのかも正確にはわからない。このように、融資を決定した後に情報の非対称性が発生する状況モラルハザードと呼ばれる。このモラルハザードに対処するためには、借り手の行動を律する契約やルールなどの仕組み作りが欠かせない。リーマンショックの際に、運用成果に連動した報酬を受け取る投資会社やファンドマネジャーたちの、過度にリスキーな投資行動が問題となったのは記憶に新しいが、これも典型的なモラルハザード問題の一例だった。  

 ここまでの話をまとめると、制度を設計する際には、個々の参加者が設計者の知らない私的な情報を持っていて(=情報の非対称性)、その情報を生かしつつ参加者自身にとって得になるように振る舞ってくる(= 利害の不一致)、という点に注意することが重要だとわかる。  これらの特性をくみ取らずに、要求制お小遣いのような浅はかな制度設計を行うと、参加者たちに制度の裏をかかれて失敗してしまう。要は、「インセンティブと情報の問題をきちんと考慮しない制度設計は絵に描いた餅にすぎない」のだ。


【参考文献】
新しい金融論―信用と情報の経済学
J・E・スティグリッツ
東京大学出版会
2003-10-31

「情報の経済学」への貢献でノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ(と共著者)による、新たな金融論のテキスト。

お小遣いルールに学ぶ制度設計の経済学
逆選択とモラルハザードの違いがわかる!


週刊東洋経済』(2012年10月20日号「インセンティの作法」)

  • 子供時代を思い出してほしい
 子供の頃、あなたはどのようなルールでお小遣いをもらっていただろうか? どうしてそのルールになっていたのか、理由を説明することができるだろうか?  

 こう聞かれると、唐突に感じるかもしれない。だが、このシンプルな質問は、社会や経済の仕組みのデザイン、つまり制度設計に通じる問いかけでもあるのだ。親が子供に与えるお小遣い、そんな身近なテーマを手掛かりに、今回は「制度を設計するうえでの大事な注意点」について考えてみたい。  

 仮に今、ある家庭で「お小遣いは必要に応じて適当な金額をその都度親が子供に渡す」というルール(「要求制」と呼ぼう)が定められていたとする。このとき、いったいどんな問題が生じるだろうか。  

 もちろん、実際に何が起こるかは場合によりけりで、ピンポイントな予測は難しい。そもそも、子供が正直に自分の買いたいものを選び、その必要性をウソ偽りなく親に伝え、親が子供からのリクエストをきちんと判断できるような家庭であれば、まったく困難は生じないのだ。  

 しかしこの要求制の下では、多くの家庭で、子供が必要性の低いオモチャまでどんどんおねだりするようになったり、使い道をうまくごまかしておカネを貯め込んだり、前もって決めておいた約束とは違うことに使ってしまったり、といった問題が、きっと出てくる。逆に、子供にとって本当に必要なものが何なのかを親が判断できずに、本当は渡すべきおカネを与えられない、そんな問題も起こるかもしれない。  

 このように見ていくと、お小遣いの要求制というのは、いかにもうまくいかなそうなルールだ。実際に、要求制のお小遣いルールを採用している家庭は少数派で、「月々いくら」といった定額制のほうがはるかにポピュラーだろう。では、この要求制ルールの失敗をもたらす本質的な理由とはいったい何なのだろうか。 


【関連文献】

制度設計の視点から市場の仕組みや歴史、その発展を追う名著!とても読みやすく、それでいて内容が深い一般向けの経済書です。