インセンティブの作法

経済学者 | 安田洋祐 の別ブログ

過去の原稿やブログ記事を加筆・再掲していきます

 今回ご紹介した「注目集まる「マーケットデザイン」:欧米の制度設計で適用」が、日本経済新聞「経済教室」に掲載されたのは2008年6月5日のこと。2007年にプリンストン大学からPh.D.(博士号)を取得し、最初の職場となる政策研究大学院大学に帰国してから、ちょうど一年近くが経過した頃でした。プロの経済学者として、一般向けのメディアで執筆させて頂いた初めての本格的な論考になります。

 七年前のことなので詳しくは覚えていませんが、この記事をきっかけに新聞や経済誌、出版社といった活字メディアの方からお声がけ頂く機会が一気に増えたように思います。改めて、その端緒となる本稿執筆の機会を作ってくださった日経新聞の(当時「経済教室」を担当されていた)H氏に感謝致します。(と同時に、時間的な制約や能力の限界から、いくつものプロジェクトをお断りすることになってしまい申し訳ありませんでした… < メディア関係の皆様)

 まだまだやり終えていない宿題がたくさんありますが、今後もできる範囲で積極的に情報発信していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します!ちなみに、過去に活字メディアに掲載された記事やその草稿のpdfファイルの多くを、こちらにアップロードしています。もちろん無料ですので、気になる記事がございましたらぜひダウンロードしてみてください! 



本稿の中でも登場したマーケットデザインの立役者、アルヴィン・ロス教授の一般向け新刊書です。ロス教授は本稿執筆後の2012年秋に、マーケットデザイン、とりわけマッチング問題に関する学術研究および現実の制度設計への貢献が評価され、ノーベル経済学賞を受賞されました。 本書では、そのエッセンスが一般向けに分かりやすく語られています。日本語訳もすでに出版が予定されているようですが、内容が気になる方はぜひ原著を紐解かれてみてはいかがでしょう?

 著者はアブドゥルカディログル助教授と米コロンビア大学のチェ教授とともに,望ましいと思われていた新メカニズムにも欠陥があることを発見した.「学校に対する相対的な好みを偽ることが得にならない」という新メカニズムの利点は,裏を返せば「どんなに“絶対的な”好みが違う学生も“相対的な”好みに応じたランキングを提出せざるを得ない」という制約を意味する.

 例えば,学校Aの方が学校Bよりも圧倒的に望ましい学生も,学校Aが学校Bよりもほんの少しだけ望ましい学生も,同じようにAをBの上にランクするしかない.この選好表明に対する制約は,学生と学校の効率的なマッチングを妨げる危険性がある.我々は,新メカニズムで生じたこの問題を改善するため,学校の相対的なランキング提出のほかに,(ひとつだけ)選んだ学校に対して抽選における優先順位をあげることができる指定校オプションを加えた修正版メカニズムを考案した.我々のメカニズムは理論およびシミュレーションテストの両面から新メカニズムをしのぐ高いパフーマンスを示しており,現実の学校選択制への応用が期待される.   

 以上,駆け足でマーケットデザインの現状を展望してきた.マーケットデザイン研究はまだ日が浅くその本格的な実践は米国においても始まったばかりだが,急ピッチで研究成果が蓄積されている.そこで得られた知見は是非とも日本の市場制度改革にも活かすべきである.上述した学校選択制は既に日本でも始まっているし,医学部研修医の病院への配属には,米国をはじめ各国で成功を収めたマッチング・メカニズムが実際に用いられている.これらの市場以外にも,ゼミや研究室の割り当て,企業内での人事配属,空港の発着枠の販売など,マーケットデザインが応用できる分野は幅広い.  

 電波周波数帯に代表されるいわゆるライセンス使用に関しても,現行の政府主導による不透明な認可制からオークションに切り替えるという発想が必要になるだろう.実際に,欧州で00年および01年に行われた第三世代携帯電話の電波割り当ての際に,多くの国でオークションが採用された.そして英国やドイツといった成功国では,大きな収益を国庫にもたらしたが,オークションをどうデザインするかで収益は大きく異なる.

 もちろん日本において成功国と同様の結果が得られる確証はないが,財政再建が急務である現状をかんがみれば,十分に検討に値するといえるのではないだろうか. 


【初出】
日本経済新聞(2008/6/5付朝刊)「経済教室」 


【参考文献】

学校選択制の現状と背景となる理論の解説から、北米での制度設計・変更の詳細、理論の新展開やオリジナルの経済実験まで網羅した、学校選択問題の決定書。(自著で恐縮ではありますが)この分野に関心のある方はぜひご一読ください!

 マーケットデザインが扱うのは,電波周波数帯のように価格が中心的な役割を果たす伝統的な市場だけにとどまらない.臓器移植学校選択制といった,金銭の授受が法律的・倫理的に禁止されている市場においてもその成果がいかされている.  

 価格メカニズムの働かないこういった市場では,価格ではなく参加者の選好や性質に関するデータを集計して機械的にマッチングを行う,中央集権的な「マッチング・メカニズム」を運用することで,需要と供給をマッチさせる.

 米ハーヴァード大学のロス教授,米ボストン大学のソンメズ教授,米ピッツバーヅ大学のユンベル助教授が04年に提案した腎臓交換メカニズムもそのようなマッチング・メカニズムの一つだ.米国では七万人を超える患者が腎臓移植を希望しているものの,実際に移植を受けることができる患者は年間一万強に過ぎず,毎年数千人もの患者が移植の願いが叶わず,命を落としている.腎臓移植が難しい最大の要因は血液型に代表される適合条件にある. 

 ロス教授達のメカニズムは,適合条件がそろわなかった不幸な患者―ドナーのペアを集めて新たにペアを組みなおすもので,できるだけ多くの患者の適合条件が揃う,つまり多くの患者の命を救うという最も望ましいマッチングの達成が可能になった.この腎臓交換メカニズムは現在,米国東部で実際に導入され始めており腎臓移植の可能性を劇的に広げ,人命を救うのに大きく貢献している.

 臓器移植と並んで近年大きな注目を集めているのが学校選択制である.学生が自分の学区域に縛られることなく幅広い選択肢の中から公立学校を選ぶことができるこの制度は,米国のみならず日本においても2000年の品川区(小学校)を皮切りに広がりを見せている.  

 03年,米コロンビア大学のアブドゥルカディログル助教授(現デューク大学准教授)はソンメズ教授との共同研究で,メカニズムデザイン理論がこの学校選択においても有用であることを初めて指摘した.そして,当時実際に用いられていた代表的な学校選択制(これを「ボストンメカニズム」と呼ぶ)に代わる代替案を提示した.  

 実際ボストン市とニューヨーク市では,学校選択制を彼らのアイデアに基づく新たなメカニズムに変更した.ボストンメカニズムでは,希望校が定員オーバーで抽選に外れた場合,既に定員が埋まっている学校に応募することができない.この場合,本当は行きたいのに抽選に外れるリスクを嫌って,あえて人気校に応募しない学生が出てくる.  

 一方,新メカニズムは抽選に外れても自分がまだ応募していない希望校にいつでも挑戦することができるものだ.そうなると,各学生は自分の希望する学校のランキングを正直に申告することが最善となるため戦略的に嘘をつく必要がない.この戦略的な虚偽表明はボストンメカニズムの抱える大きな問題と考えられていたため,制度変更の決め手となったのである.  


【参考文献】

伝統的な経済学が扱ってきた市場理論の要所を抑えつつ、オークションやマッチングの理論と実践について学ぶことができる。話題が豊富で経済学ファンに特にオススメの教養書。