インセンティブの作法

経済学者 | 安田洋祐 の別ブログ

過去の原稿やブログ記事を加筆・再掲していきます

公立小学校や公立中学校へ入学する生徒達が、従来の通学区域にしばられることなく複数の選択肢の中から学校を選ぶことを可能にする制度は「学校選択制」と呼ばれ、日本の多くの自治体でも既に導入されています。私自身も、経済学やゲーム理論の視点から、学校選択問題について研究を行ってきました。(その詳細については、ぜひ次の編著書をご覧ください)



 専門書や専門論文に加えて、一般向けにも何本か論考や紹介記事を書かせて頂いたのですが、なんとその内の一つが、北九州市立大学入学試験(2015年度・一般入試・小論文)に出題されました。
「学者が斬る:学校選択制を経済学で考える」『週刊エコノミスト』(2009年1月13日号)
 今回は、その記事を(一部内容を修正して)4回にわたってご紹介したいと思います。掲載稿もこちらからダウンロードすることができます。学校選択制の是非に関して身近な例を用いながら分かりやすく整理することを目的とした論考で、(やや単純過ぎる見方に映るかもしれませんが)一般向けメディアなどでしばしば目にする「問題点」を再検討するきっかけになるのではないかと期待しています。ご笑覧頂ければ幸いです。


生徒数差と「格差」の危険なアナロジー
 

 2000年の品川区を出発点に非常に速いペースで学校選択制が浸透してきた東京都区部では、現在(2009年)までに23区中19区において学校選択制が導入されている。全国で最も学校選択制が普及しているこの地域では、多くの家庭にとって「公立学校を選ぶ」ことがもはや当たり前になっていると言ってよい。公開されている一部の自治体のアンケート調査によると、保護者や生徒の圧倒的多数が学校選択制を肯定していることが分かる。たとえば2002年に中学校、03年に小学校で区内全域の学校を選べる選択制を導入した墨田区が2008年に実施したアンケート結果によると、小中学校それぞれ85%前後の保護者が学校選択制を肯定している。ややデータが古いが、2005年の内閣府調査では、全国の保護者の64.8%が学校選択制の導入に賛成する一方で、反対はわずか10.1%との結果も出ている。学校選択問題の当事者である生徒達からの高い支持は、学校選択制の成功を物語る客観的な指標と言ってよいだろう。

 その一方で、最近になって「行き過ぎた選択」に対して警鐘を鳴らす報道も、新聞などのメディアでよく目にするようになってきた。そこで決まって登場するのが、学校選択制を「市場競争」、生徒数差を「格差」に置き換えるというアナロジーだ。「格差を生み出す市場競争は望ましくない」という市場原理主義批判になぞらえて、「生徒数差をもたらす学校選択制は望ましくない」と主張するわけである。一見すると説得力があるかのように映るこのアナロジーは、果たして本当に学校選択制の問題点を突いた本質的な批判になっているのだろうか?

 まず注意しなければならないのは、ここで言う“格差”が一体なぜ問題なのか?という根本的な点である。たとえば所得格差や地域間格差などしばしば経済問題として取り上げられる格差は、所得の低い個人や不景気な地域に生活する住民の厚生を下げるという意味で、“実体のある”格差問題であると考えられる。そして、こういった深刻な格差問題においては、被害者の多くには格差から逃れる(簡単な)選択肢が与えられていない。つまり、
(1)格差による厚生の低下、および
(2)そこから逃れることの難しさ
が格差問題を“問題”たらしめているのである。

 一方、学校選択制における格差とはあくまで各学校を選ぶ生徒数のばらつきに過ぎず、それが当事者である生徒の厚生を下げているかどうかは全く明らかではない。また、個々の生徒には「他の学校を選ぶ」という、非常に簡単に格差から逃れることができる選択肢が与えられている点も重要だ。以上の2点をふまえるならば、学校選択制における生徒数“格差”を経済格差のような実体のある格差問題と同列に扱うのは無理があるように思われる。学校間の生徒数差を経済問題になぞらえて“格差”と形容するのはミスリーディングであると言わざるを得ない。 

前回に引き続き、『ソウルフルな経済学』エントリから、関連する話題をご紹介したいと思います。今回は、初回の引用記事の中で触れられていた「新しい経済成長理論」=「内生的成長理論」について。大阪大学の同僚でもある二神先生の著作の序文から引用させて頂きます。成長理論の発展を概観し、その勘所や代表的なモデルを非常に分かりやすく紹介した素晴らしい専門書です。





 第2次世界大戦後にロバート・ソローによって展開された経済成長モデルに始まり,1960年代には数多くの経済成長論の研究が行われた.しかし,1970年代に入り経済学者の関心は経済成長論から離れていった.多くの経済学者の関心が経済成長論に再び向けられるようになるのは1980年代後半になってからである.そのきっかけを作ったのは,ポール・ローマーが1986年にJournal of Political Economyに発表した論文 "Increasing Returns and Long-Run Growth" である.この論文以降,堰を切ったかのように数多くの研究が経済成長論の分野で行われるようになった.

 80年代後半以降の経済成長論は60年代の経済成長論の単なるリバイバルではない.では,60年代の経済成長論と80後半以降の経済成長論の違いはなんだろうか.それは次の3点にまとめることができるだろう.
 まず第1は,ミクロ的な視点の導入である.家計の効用最大化,企業の利潤動機に基づく研究開発などを小苦慮に入れた点である.
 第2は,外部性や公共財といった市場の失敗を生む要因と独占や独占的競争といった不完全競争の要因の導入である.したがって,80年代以降の経済成長論は,市場の失敗や不完全競争による厚生の損失を政府がその経済政策でいかにして改善できるかについて分析することを必須にした
 そして第3は,豊富なデータの蓄積に伴う経済成長に関する実証研究の発展である.

【関連文献】
内生的経済成長論〈1〉
R.J. バロー
九州大学出版会
2006-09


成長理論の代表的な専門教科書。記述が丁寧で数学補論も充実しており、かなり読みやすいです。大学院のコースワークでメインテキストや副読本として本書を使われた方もいらっしゃるのではないでしょうか? イチからじっくりと成長理論を勉強される方に特にオススメです!

今回は、前回のエントリ『ソウルフルな経済学』(3/3)で触れた、ギルボア教授による『合理的選択』の序文から、印象に残った箇所を引用・ご紹介したいと思います。学者としての普段の仕事は高度に数理的なものばかりですが、だからこそかえって彼のメッセージが熱く伝わってくる気がします。

合理的選択
イツァーク・ギルボア
みすず書房
2013-03-09



 経済理論やその関連分野は数多くの強力なモデルと一般性の高い視点を提供し、私たちの日常生活に関する考え方を変えてきました。それと同時に経済学はいくつもの点で正当な批判を受けてきました。第一に、経済学は数理科学であるにもかかわらず、他の厳密科学のような正確な数値予測を提供し損ねてきました。第二に、経済学の基本的な仮定は攻撃の的になり、実験を通じて反証されてきました。
 <中略>
 本書はこれらの批判を乗り越えてきた経済学の基本的な視点に焦点を当てます。合理的選択のモデルは、十分に柔軟性があって、狭義の経済理論が説明し損ねてきた多くの現象を採りこむことができる、ということが示されてきました。
 <中略>
 本書では特定の理論ではなく、
合理的選択のパラダイム、一般的な視点、概念化、構成原理といったものを強調しています。

 経済学とその科学としての成功の有無に関する議論や、経済学者が社会で果たしている役割や果たすべき役割などに関する議論を見ると、両方向にバイアスがあるようです。経済学者はほとんどの場合、レトリックや黙示の力といったものに重きを置かなすぎます。経済学のほとんどの教員は効用最大化やパレート最適性といった概念の欠点には触れません。教員は学生が行間に何を見るかということに無頓着であり、そのために単に理論を記述しているだけなのにそれを称揚していると受け取られることもあります。他方、経済学の批判者たちは理論とパラダイムとを十分に区別しません。彼らは特定の理論の失敗をあげつらって、パラダイムの長所を吟味することなしに、分野全体を否定しにかかるのです。本書の読者がこれら双方のバイアスに気づかれるこをと切に願います。
【序文】より抜粋


 本書は、経済・政治・社会問題を考察する際に重要な意思決定理論ゲーム理論社会選択論の基本的な考え方を論じたものです。私は現代の民主主義において、全ての人がここで論じられた考えに触れるべきであると信じています。本書ではこの目的を踏まえて、可能な限り数理的議論を排することを目指しました。
【日本語版への序文】より抜粋